うたう容疑者
「っあーわかんねー、んだこれっ! オイ一護、これ何て読むんだよ」 「あー? …それ先週も教えたじゃねぇかよ…」 「知るかんなもん。それよりさっさと教えろ。早いトコ終わらせて帰りてーんだよ俺は」 「…それが人にものを教わる態度かよ。てゆか、」 「お前ほんとにそれでも教師なのか、グリムジョー」 放課後の教室、突き合わせた机に頬杖をつき、一護は呆れきった視線を目の前の男に向けた。 派手な水浅葱色の髪をがしがしと掻き乱し、漢字だらけの書類に四苦八苦している。紙切れ相手に軽く逆ギレしている様は、一護より年上とは到底思えない。 いや、容姿だけで言えば、しっかりと作られた無駄のない体躯に意外に整った顔はどこからどう見てもおっとこまえな大人の男なのだが。 「てめー教師を呼び捨てとは何事だ。グリムジョー先生様と呼びやがれ」 口を開くと、途端にそんな印象は掻き消えてしまう。 そんな頭の悪い呼び方を真面目にしたらそっちのほうが問題がある気がする、と声には出さぬまま言われた事は無視して先程眼前に突き出された書類の漢字を読み上げた。 「つーかさ、やっぱおかしくね? 何で俺、自分の担任に漢字教えてんですかージャガーせんせー」 「その呼び方はやめろっつたろ! 言っとくが俺ぁ縦笛なんか吹かねぇぞ」 「…せんせー、ジャンプ派だったんデスネ…」 いい加減間抜け過ぎる会話に疲れて、一護は机に突っ伏した。 正直、この男が教師である事が未だに信じられない。 読める漢字は小学生レベルだし、何度教えても次の週には忘れているほど物覚えが悪いし、おまけに目つきも口も悪い。 よくそんなんで教免が取れたな、と思うが、恐ろしい事にこの男が受け持つのは、体育だとか美術だとかの技能教科等ではなく、主要科目である数学なのである。 国語や社会や理科(既に現国とか物理とか言うレベルではない)はまるで駄目なくせに、数学に関する事だけは滅法強いのだ。漢字も数学関連だけは覚えているらしい。意味が分からない。(そもそも理数というくらいなのだから理科に弱いのはおかしいのではと本人に言ったらそんなものはへんけんだ!と言われた。ひらがなで。) そんな世にも奇妙な教師、グリムジョー・ジャガージャックに目を付けられてしまった一護は、傍から見れば相当不幸であっただろう。実際、最初に声を掛けられたとき、クラスの皆からはとても不憫なものを見るような目で見られてしまった。 『おい、黒崎一護。てめえ、放課後居残りだ』 途端ざわりとクラスはどよめいたし、一護も何を言われたのかよく分からなかった。 何故なら一護には居残りや呼び出しをくらう心当たりが一切ない。 本人の性格はともかくとして、学校での一護はとても真面目で(というよりは単に問題を起こさないようにしているだけだが)成績優秀な、クラス委員長なのである。 委員としての用事ならともかく、居残り。 まさか今更になってこのオレンジ色の髪のことだろうかでも届けは出してるしそもそも青い髪したコイツに言われたくねぇ、と色々考えたが、やはり居残りをする理由がない。 そんなものをさせられる覚えなどなく、その場で聞いても答えてはくれないグリムジョーに流石に腹が立った一護は当然の如く無視して帰ろうとしたのだがあっさり捕まってしまい、ずるずると引きずられていった教室にまるで面談でもするかのように移動済みの二組の机に些か乱暴に着かされた一護に、担任教師は言った。 『てめえ委員長だろ。俺様の仕事手伝わせてやる』 ぶっちゃけ殴りたかった。本気で。 それから度々、放課後の教室でこの(あらゆる意味で)不良教師と二人っきり、こうしていまいちどっちが生徒でどっちが教師だか分からない居残り仕事が続けられている。 今日も今日とて、グリムジョーは生徒に見せるべきではないような書類まで持ち出して、一護に手伝わせている。だから教師としてどうなんだよそれは。 「やっと終わったか。あー疲れた疲れた。帰るか」 「おいこら待て!!こーかんじょーけん!」 「あぁ?」 「約束だろうが!!そういうことまで忘れんなよ、数学、教える約束だろ!」 「あー…忘れたなそんなモン」 「てめぇー!!」 自分の仕事だけ終わらせてさっさと帰ろうとするグリムジョーを、一護はがっちりと引き止めた。既に慣れたやり取りだ。 有無を言わさず放課後の時間を潰され、流石にあまりにも無駄な時間を嘆いた一護がグリムジョーに出した交換条件が、書類仕事を手伝う代わりに数学を教えろ、という事だった。 というか、グリムジョーから教われる事などそれしかないのだが。 言いながら、明らかに仕事を手伝わせることを悪いとは思っていないだろう相手にそんな条件が通じるか微妙だと思っていたが、一護の予想に反してグリムジョーは意外にあっさりとそれを承諾した。 時間を使うことに文句は言うが、数学を教える事に関しては特に文句はないらしいグリムジョーに、逆に一護が驚いてしまったぐらいだ。 「めんどくせぇなー、早く帰ってメシ食って寝てぇんだよ俺は」 そう言いながらも、しっかり用意していた教科書を広げて座りなおすグリムジョーに安堵の息を吐いて、一護もノートを広げた。 「大体てめえ、今更勉強なんていらねぇだろうが。学年トップの委員長様がよ」 まさしく言う通りで、学年3番から下へ落ちたことのない一護の数学のテストはいつも満点に近いものであり、現行している数学の授業で分からないところなどない。 現在グリムジョーの手に広げられている教科書も、一学年上のものだ。既に現学年の教科書は予習を終えてしまった。 はっきり言って、今一護が貴重な放課後を潰してまでこの男から教わるべき事など一つもなかった。それでも一護がこの放課後授業を続けているのには、やっぱりそれなりの理由があるわけで。 「つーか、あんま勉強すんのやめろ。てめえのテストは間違いが少なすぎて採点がつまんねーんだよ」 「それが教師の言う事かよ」 とても無茶苦茶な事を言いながらも、一護のノートを覗き込んでくるグリムジョーの目は、さっきまでの仕事の時とは違いキラキラとし出している。他の人間から見るといつもの凶悪面がさらに凄みを増したように見えるらしいが、気が付いてしまった一護にはその顔が明らかに活き活きと輝いている事が分かる。どうやらグリムジョーは、(とても似合わない事に!)数学が大好きなようだった。 そして、一護は、そういう時のグリムジョーの顔が、ちょっと好きだったりした。 いや、嘘を言った。実はかなりすきだった。 「いいから、ちゃんと教えろ。こないだここまでやったから…78ページからな」 ちらりとグリムジョーの顔を覗き見ながらページを指し示せば、ぱらぱらと教科書を捲りながら彼はひょいと片眉を上げて少し呆れたような顔をした。 「もうこんなトコまでやったのかよ。…このペースでやってっともう、すぐに教える事なくなるぜぇ?」 それは困る、と一護は思った。 「…じゃあ、大学でやったこと教えてくれればいいだろ」 「研究者にでもなるつもりかてめえは」 ぺし、と平たい教科書で軽く頭を叩かれたが、言葉とは裏腹にグリムジョーはちょっと嬉しそうな顔をしていた。 それを見て、やっぱり困る、と一護は思った。 そういう顔を見られなくなるのも、それを口実にこうして居残りをするのも、出来なくなるのは嫌だった。 俯いたまま顔を上げない一護に首を傾げたグリムジョーは、机に肘をついて暫く考えた後、ぽつりと言った。 「まぁ、俺もてめえに教える事がなくなると都合が悪ぃけどな。あんなめんどくせぇこと、一人でやってたらおわりゃしねぇ」 「…へ、」 そっぽを向きながら吐き出された台詞の意外さに、一護は思わず顔を上げた。 自分の仕事だけ押し付ける事もしそうなグリムジョーの台詞とは思えなかったし(だって交換条件も一護が勝手に言い出したことだったし)、そもそも別に漢字を教えたり雑用を手伝ったりだって何もわざわざ学年トップの一護じゃなくたって誰だって出来る事で、ならば数学を教えるのだって一護じゃなくたっていい筈で、という事はグリムジョーが困る(とははっきり言わないところがああグリムジョーらしいな、とか思ったりとか)事は何もないわけで―――等など。 ぐるぐると混乱した思考と何故かじりじりする胸の内に戸惑う一護はそもそも何故自分がそんな思考に陥っているのか、グリムジョーの台詞が何を指すかなど実は何も分かってはいなかったのだが、そんな心理状態で見上げた一護の顔は相当おかしなものだったらしく、グリムジョーはそれを見て何とも微妙な顔をした。 「…何つー顔してんだ、てめえは、」 微妙な顔をしたまま暫く固まっていたグリムジョーは、そのうち徐々に眉を顰め、やがて溜息をついた。 「ったく、何だってんな面倒な、―――犯罪だとか何とか抜かしやがってたか奴ぁ…そりゃ、俺だってこんな餓鬼、…」 「ぐ、グリムジョー??」 何やら意味の分からない事を頭を抱えて呟き始めたグリムジョーにコイツ大丈夫かと些か失礼な事を考えながら、そろりと覗き込もうとすると。 「だーっっ!!めんっどくせぇ!!!もう知るか!」 突如怒り出したグリムジョーの勢いに思わず仰け反ると、不安定な姿勢でいた一護の襟首をグリムジョーは酷く乱暴に鷲掴み、背後の壁へと押し付けた。 一瞬の事に抵抗も出来ず、その上ごち、と鈍い音が後頭部から聞こえて一護は痛みに何も考えられなくなった。 「いっ、」 とりあえず痛い、と訴えてから理不尽な暴力に不満を表そうと口を開きかけたところで、さらにもう一度後頭部を打ちつける羽目になってしまった。 とても勢いよく、グリムジョーの顔がぶつかってきたので。 正確に言えばそれはキス以外の何物でもなかったのだが、同じところを二度ぶつけた痛みとあまりに突然の行為に正常な判断をする余裕など一護には与えられず、そして痛みが引くころには喰らい尽くさんばかりに口内を蹂躙するグリムジョーの舌に翻弄されて、そもそもそういったことに疎かった一護は息継ぎの仕方も分からずあっけなく酸欠に陥り頭の中は真っ白になってしまっていたので、やはり状況判断なぞ出来よう筈もなかった。 力の入らなくなった体を目の前の男の服にしがみ付く事で必死に支え、ようやっと開放された唇から何とか不足した酸素を取り込もうと真っ赤な顔で喘ぐ一護を、どこか不思議そうにグリムジョーが見下ろす。 どうにか整えた息を一度深く吐き出して、一護はきっと睨み上げた。うっすら涙目だったので迫力は皆無だったが。 「ってめ…!、にすんだよ!!なん、何だよ今の…!!」 「何って、キスだろうが。んな事もわからねぇのかてめえは」 「…き、きす??」 瞬間、一護の脳内に浮かんだのは魚のフライだった。混乱ここに極まれり。 「んだよ、キスくらいしたことあんだろ。…ねぇのか、まさか」 まるで馬鹿にしたようなグリムジョーの言葉にカチンときたものの、この歳でそんな経験豊富だったらそっちのほうが問題だろうと見当違いなことしか考えられない一護には今までに恋愛経験と呼べるようなものなどなく、今自分がどんな顔をしているかも、普段自分がどんな顔でグリムジョーのことを覗き見ていたかも全く理解していなかった。 二の句の告げなくなった一護の様子に、にやり、と傍から見ればとても凶悪な顔で笑ったグリムジョーは、まぁここは一つ共犯ってことにしとけば問題はねぇよな、とやはり一護には分からない(誰かが聞いていれば問題大有りだと叫ばれていただろう)言葉を誰にともなく呟いて、力の抜けた一護の腰を容赦なく引き寄せると、ちろりと自身の薄い唇をひと舐めして言った。 「てめえにはまだまだ教える事がありそうだな?」 そうして、極至近距離で見せ付けられたグリムジョーの目は、一護の大好きなキラキラと輝くような、今までで一番活き活きとした目をしていた。 |
2007.8.25 sakuto kamunabi BLEACH TOP
色々無茶苦茶で す が !笑
グリ一の日に書いたまま放置していた教師もの(?)。好きだな私も!笑
でも何が書きたかったかって言うと、ジャガー先生って言いたかっただけだったりとか…もごもご