君のいない場所は何処も嫌いだよ





  ふ、と、自然と溜息が零れ落ちた。

  今日何度目になるだろうか。別に数えようなんて気も起こらないが。

  気がつけばそうして勉強の手を休めては、薄く開いた窓の向こうに意識を持っていかれる。

  眺めていたって、あいつは来ない。そんな事は分かっているのに。

 
  『暫く書類漬けで一護ちゃんに逢えそうにないわ。えらい残念やけどな』


  一週間ぐらい、とあいつが言ってこの部屋を出て行ってから、まだ3日しか経ってない。


  『いい加減イヅルが首吊りそうやし。あー、嫌や嫌や。何でボク隊長になんかなったんやろ』


  仕事が終わらないのは自業自得だろ、イヅルさんが可哀相だからこんな所で遊んでないでさっさと終わらせて来やが

  れ!…なんて言って追い出したのは自分なのに。

  それでも、つい窓の向こうにあいつの、ギンの姿を探そうとする自分の女々しさに吐き気がする。


  今頃ギンは、尸魂界の瀞霊廷の執務室でイヅルさんの厳しい監視の目の中書類と格闘しているのだろう。

  今自分がいるのは現世の自室で、あいつは遠い遠い空の向こうだ。

  既に黒く塗り潰された空を見上げても、ただただ闇が広がるばかりでその世界の欠片すら窺わせてはくれない。

  お前に似ている、といつか言ったら笑ってくれた、薄蒼い月でさえ今は見当たらない。

  逢いに行きたくても、自分からはおいそれと行ける場所ではない。だからいつも逢いに来るのはギンからだった。

  その事実が齎す歯痒さに掌を握り締めたのは、一度や二度ではない。

  死神と人間。現世と、あの世。この際性別なんてものは置いておいたとしても。

  時間も距離も、自分からは何一つ縮められない。なんて遠いのだろう。



  「…は、……」


  そうして今日も溜息を吐く。ギンのいない部屋の寂しさに押し潰されそうになる胸から息苦しさを吐き出す様に。

 
  こんな自分は知らない、と思った。こんな、誰かを想って吐息を漏らす自分は。

  クラスの女子は恋は素晴らしいものだと言っていた。誰かを想うのは、幸せな事なのだと。

  だが自分はどうだ。たかだか数日一人の人間に逢えないだけで、酷く苦しいこれは、本当に恋と呼べるものなのか。

  ちっとも幸せなんかじゃない。それを齎してくれる人間は、今この世界の何処にも、いない。



  「ギンのばか…」

  「誰がばかなん」


  また一つ溜息を吐いたと同時に零れ落ちた八つ当たり紛いの呟きに、追って聞こえた自分のものではない声。

  知らず俯いていた顔をかたりと上げてみれば、そこには。


  「忙しい仕事の合間を縫って逢いに来た恋人に、それはいくらなんでもあんまりやない?」

  「、ギン…」


  いつの間にやら出ていた薄蒼の満月を背に、するりと窓から入り込んでくる男。

 
  「それにさっきから一護ちゃん、溜め息ばっかりや。あんまり仰山吐くと、幸せが逃げてまうよ?」

  「っ、何でいんだよ!てか何時からいた!?」


  我ながら可愛くない台詞だ。ずっと逢いたいと、本当は寂しいと思っていたくせに。


  「せやかて、なぁ。やっぱ無理やわ。一週間なんて長すぎるわ」


  動けない俺に向かってふわりと音もなく近づいてくると、ぎゅう、と音がする程に強く抱きしめられた。

  ずっと望んでいた温もりを肌で感じて心は歓喜に震えているのに、それでも俺の口からは素直な言葉は出てこない。


  「…イヅルさん、泣いてるぞ」

  「ほっとき。一護ちゃんに逢いたいいうボクの気持ちの方が大事や」

  「…俺の気持ちは無視かよ」


  それでも、俺の為、なんて言葉よりずっと嬉しいその言葉に、知らず笑みが零れる。


  「自分で来れないって言ったくせに…嘘吐き」


  思うよりもずっと甘えた声が出て、それだけで自分の気持ちが全て知れてしまう様な気がして何だか恥ずかしい。

  案の定ギンには全部分かってしまっている様で、いやに優しく髪を撫でられた。


  「こないな嘘ならええやろ。…何時だって、逢いに来れるよ」

  「…っ」


  たったそれだけの言葉で、ついさっきまで何よりも遠かった距離が一瞬で埋まってしまう。

  ギンが言うなら、現世と尸魂界だって全然近い。

  こうして抱き合ってしまえば、心も、身体も、全てが一番近くに感じられた。

  なんて現金な、と思わないでもなかったが。

  それが恋というものなのだろう。そう、思う事にした。

 
  「傍におるよ。ずぅっとな」

  「…ああ」


  直に感じるギンの匂いに、段々と温まってゆくその体温に。

  そしてまた、溜息。


  「何やまた溜息吐いて。もしかして、怒っとるん?」


  怪訝そうに顔を覗きこんでくるギンの顔を見て、自然と口元が綻ぶ。


  「ちげぇよ」


  先程ギンは、溜息を吐くと幸せが逃げると言った。俺も聞いたことがある。

  けれど、幸せだ、って思わず吐いた溜息でも、やはり逃げるのだろうか。

  不思議そうなギンの顔を見つめながら、軽く背伸びをしてそっと口付けた。

  滅多にない俺からのキスに一瞬驚いた様だったが、直ぐに角度を変えられて深く唇を合わせられた。

  そうすれば、より縮まる距離。

  たとえ一つ溜息吐く毎に逃げて行ったとしても。

  幸せは、ここから幾らだって溢れてくる。

  だから、大丈夫。










  そう、思ったのに。



  何だよ、破面って。何処だよ、虚圏って。


  尸魂界よりももっと遠い場所へ、あいつは行ってしまった。俺を置いて。

  俺の知ってるどの世界にも、あいつはいない。

  出ている筈の月ですら俺の目には映らない。

 
  どんなに逢いたくても、やはり俺からは逢いに行けなくて。

  そして、あいつがここに逢いに来ることは、ない。

  もう戻らない。


  何時でも逢いに来るって言ったくせに。


  「嘘吐き…」


  こんな嘘は要らないよ。


 
  もう二度と縮まることのない距離に、ギンのいないこの世界に。

  そしてまた、溜息、ひとつ。



  ああ――――――――。



  もしかして、俺は、





  溜息を吐き過ぎたのかな。






  2006.4.2 sakuto kamunabi                                
BLEACH TOP

  謀反の前から付き合ってる感じのお二人。
  ていうか暗いよ…!そして相変わらず一護さん乙女警報発令中(うふふ)。
  ギンははっちゃけた感じが好きなんですけどそれはまた今度という事で。
  只管優しく一護を愛してくれるといい。(でも幸薄げじゃんか!)
  因みにタイトルはsh○laさんのお歌から。あえて漢字にしていますが。