雲隠れの臥待月After 恋涙




一護が尸魂界へ来たのは、あれから十年も経たないうちだった。
といっても、その前に何度か本人の意思で足を運んでいたのだが、今回はそうではなく、。
現世に生きた死神代行―人間、黒崎一護は、その短い一生を、終えた。
それは突然の事で、誰もが悲しんだけれども、しかしまた新たな始まりであることも皆知っていた。
現世での生を終えた一護の魂は馴染みであった十三番隊の朽木ルキアが静かに迎え、そして。

また以前の様に一護を中心に騒がしくも愛おしい日々が始まるのだと、当たり前のように思っていた。


思っていたのだ。けれど、



その、期待と喜びと僅かに残る悼みの気持ちを抱え待っていた面々の前から、黒崎一護は消えた。
否、正確には、消えたわけではない。だが確かに皆の前に現れた黒崎一護は、待っていた彼では、なかった。
一護は生前の記憶の殆どを失っていた。


共に戦ったことも。
共に笑ったことも。
共に、涙したことも。
―――愛した、ことも。


尸魂界と関わるそれら全ての事象を、どころか黒崎一護として生きたほぼ全ての記憶を、一護は持ちえていなかった。
その事実に泣いた者も、拳を強く握り締めた者もいたのだけれど、それでも皆以前と変わらぬよう一護に接した。
記憶が無くともその力は失われることはなく、護廷は霊術院でのほんの僅かな研修を一護に受けさせ、彼を受け入れたのだ。

たとえ共に過ごした日々を忘れてしまっても、その真っ直ぐな心根が変わらないことを知るならば。
たとえ全てを賭して戦った記憶が無くとも、その強く光る魂の輝きが失われていないことを知るならば。
心の底までも射抜くような瞳が、濁らぬままであるならば。

そう、そして、たとえ恋仲であった事を忘れてしまっていたとしても、想いを交わしたこと、心の最奥まで触れ合った事さえも忘れてしまったのだとしても。
日番谷冬獅郎にとっての黒崎一護は、損なわれる事なく、其処にあるのだから。


誰何を問われ、胸に重い痛みを抱えても、どこか申し訳なさそうにする一護に誰しも笑みを作って見せたけれど。
他の誰よりも心の深い場所へ大きな打撃を受けたであろう彼は、無理に表情を作ることもなくただ静かに微笑っていた。



『冬獅郎ー!』
『日番谷隊長だ!!』


「えと、あー、悪いけど名前、聞いてもいいか?」
「…日番谷冬獅郎だ」
「ひつがや、ひつがや…」


『はいはい、それより冬獅郎、浮竹さんが呼んでたぜー』
『日・番・谷・隊・長・だっつってんだろてめぇー!!!』


「日番谷隊長、だ」
「え、隊長!? あーっと…日番谷隊長?って呼んだほうがいいのかやっぱ…?」
「一護!!」
「松本、…いい」



短期間でも霊術院で教育を受けたためか、朽木や阿散井らに言い聞かせられたものか(いや、今の一護に彼らがそうする事はないのかも知れない)、以前とは違い一護は多少なりとも上下関係を気にするようになっていた。本当に僅かに、ではあったが。
他の死神たちに対するのと同じ様に、寄せた眉根と緩く弧を描く口元に苦笑の色を乗せて改めてひつがやたいちょう、と呼びかける一護に傍にいた松本は酷く狼狽したけれども、当の日番谷は静かにそれを諌めた。
そんな二人の様子に一護が、一瞬不安に瞳を揺らすのに、日番谷は穏やかに笑い何でもないと返す。
松本が、ぎりと歯を噛み締める音が聞こえるようだったけれど、日番谷はそれを無視した。
不安から不思議そうな顔になった一護が、日番谷の深い翠の瞳を覗き込むように見上げてくる。


『んだよお前、何か、会うたびにでかくなるなぁ』
『お前を超すまであと少しだな? 約束、忘れるなよ』
『はいはい、わかったわかった。俺仕事あっから、もう帰るぜ』
『次に会う時には、もう超してるだろうぜ。楽しみに待っていやがれよ一護』
『んな早かったら気持ち悪いわ!』
『そんなに早く会いに来てくれるのか』
『…うるせぇ! この馬鹿冬獅郎!!』


見上げてくるその仕草が幼く見えて、十年ぶりに会った時に随分と大人びて感じた事を懐かしく思う。
あの時はまだ一護の身長を超えてはおらず、軽くあしらわれてしまったけれども、今度こそ、と思っていた。
己を見上げる事になった一護がどんな顔をするか楽しみにしていたのだけれど。
相も変わらず。一筋縄ではいかない男なのだ彼は。
そう思えば、自然と笑みもこぼれてくるというものだ。


「…好きに、呼べばいい。黒崎一護、お前の好きに」
「ん、そっか? じゃぁ、とりあえず日番谷。宜しくな!」
「あぁ」


以前と変わらぬ眩い笑みに、返すなら、そこに余計な感情は気取らせない。
この心底にどれだけの想いが渦を巻いていたとしても、今の一護にそれを押し付けたくはなかった。
まるで出会って間もない頃の様に、真白に笑う一護には。
無邪気に差し出された手のひらの温度は、やはり変わらぬものだった。





それから、黒崎一護はよく十番隊に顔を出すようになった。
はじめは物言いたげにしていた松本も、今では共に遊びに来た朽木や雛森と一緒になって一護を構い倒している。
そんな頃には、日番谷の事を冬獅郎と呼び始めた一護に隊長だ!と返すような久しいじゃれ合いも見られる様になっていた。
まるきり昔の、心を通わせる前の二人の状態に周囲がやきもきする様も見て取れたけれども、日番谷は何も言わず、そして何も言わせなかった。
出会った頃に戻ったのなら、最初から始めるのもまたいい。
言って笑う日番谷に、今度は隊長が待つ番なのかもしれませんね、と、揶揄するように笑んで松本が軽口を叩いた。
なるほどそうなのかもしれない。
かつては、一護に人間にしてみればかなりの長い時を待たせたのだから、次に待つのは自分ということだ。
冬獅郎、と、幾分親しみを込めて呼ぶようになった一護の声を聞きながら、それもいい、と思う。

時間は、沢山あるのだから。



いつか、今とはまた違った表情で名を呼ぶ互いの姿を見ることがあるかも知れない。
それまでも、それからも。その傍らで微笑いながら、





恋になるのを、待っている。


















































と、


「そんな感じでどうでしょうか日番谷隊長!」
「………松本。何だ今のは」
「いやだから、どうです? 我ながら結構いい感じなんじゃないかと」
「そうじゃねぇぇぇ! 今の、無駄に長ったらしいうえにくどいわけのわからない妄想は一体全体なんなんだって聞いてんだ!!」
「え、ああ一護に頼まれたんですよ十年待たされた挙句に未だに自分の背も超せない隊長にかわいい報復の一つや二つや五十や百くらいしても許されるだろうから何かいい案考えておいてくれませんか乱菊さん長期戦になっても構わないからってあー隊長どこ行くんですか隊長そんな滝のような涙を流しながらどこに行っちゃうんですかたいちょぉーーー!」



劇 終
そう簡単には許してくれません。一護も乱菊さんも。笑
シリアスになるわけがない!!笑



2007.6.15 sakuto kamunabi BLEACH TOP