夜が明け、日が昇る瞬間の静謐な空気。
東の空から送られる、真新しい光。
照らされる、その横顔。
そして、
何よりも清浄なる誓いを貴方に。
The dawn
ガヤガヤと賑やかな声が遠く近く聞こえ、未だ潰れる事無く飲み明かす彼らに心の中で拍手を送る。いい加減付き
合いきれなくなった一護が宴会場と化した十一番隊の隊舎を出たのは、それでももう夜も明けようかという頃にな
ってからだった。頬に当たる外気が心地好い。
明かりのない薄暗い道をひたひたと歩く。自然と静かに、音を立てないように歩いている自分に気が付いて、そっ
と溜息を吐いた。
ちらり、と、数歩分前を行く、やはり音を立てないようにして歩くその人の小さな背中を見やる。先程まで、あの
喧騒の中にいたのが信じられないくらい静かで、そして重い。少なくとも一護にはそう思えた。それは、一護自身
の心底にある感情から来るものであったやも知れないが。
からからと陽気に笑う声も、怒った様に赤い頬を脹らすのも、一護以外の皆が知る常の彼女であったというが。
一護には、どこか違うのではないかと感じられた。
何も、知りはしないのに。それでも。
「…雛森さん」
呼びかけ、ぴたりとその細い脚が止まった瞬間一護はまだ発する言葉を決めていなかった。同じように足を止め、
暫し沈黙する。
「なぁに、黒崎君」
声には何の感情も感じられない。親しみも、憎しみも。
「…本当に、良かったのか」
「何が?」
振り返る事無く返されれば、やはりそこに宿る感情を一護が知ることは出来なかった。
何も語ろうとはしない背中に、ちくりと胸が痛む。
「知ってんだろ、もう。俺が―」
「黒崎君が、五番隊の隊長になるってこと?」
そうして漸く、彼女はくるりと振り返る。
けれどもその表情は薄闇の中では杳とは知れず、ただ辛うじて口元だけが緩く弧を描いていることが分かった。
ひら、と彼女の髪に留められた薄闇色のリボンが翻る。
「知ってるよ。…シロちゃんから聞いたもの。それに、総隊長からも通達があったわ」
「…それ、で?」
「それでって?もう決まった事なんでしょう。私がどうこう言う事じゃないわ」
「でも、俺みたいなガキがって、思わねぇ?」
「黒崎君は強くて卍解だって出来る。人望だってある。…まだ、出会って間もないのにね。
もうみんなの心を掴んでるんだもの。どこにも反対する理由なんてないの」
「だけど、」
「黒崎君」
猶も言い募ろうとする一護を遮って、雛森は真っ直ぐに一護を見る。
その瞳には長い時を生きた死神の、そして護廷の副隊長としての威厳の様なものが感じられて、一護は知らず固唾
を呑んだ。
「これも知ってるよ。黒崎君、総隊長にこう言ったんでしょう?
『もし私が反対したら、五番隊の隊長にはならない』って」
「…それは」
「同情してるのかな。私が、藍染隊長に捨てられた私が、可哀想だからって?」
ふっと笑みを零すような息遣いが聞こえて、一護の胸が再び痛む。そこには自嘲が含まれているのだろうか。
徐々に白み始めてきた空が、彼女の円やかな頬を浮かび上がらせていくのを見守りながらも、一護はその瞳を見て
いられず俯いた。
「そういうわけじゃねぇよ。…俺にそんな資格があるとも思えねぇ。けど」
「…そんな我が儘、通ると思ってるの?」
「……え?」
何を言われたのかよく理解できず、思わず顔を上げた一護が見たものは、まるで少女の面影を残さないもので。
ただただ、一護には想像もつかないほどの高みにいるような、そんなひと。
―護廷の隊長たちは、皆このような顔を持つのだろうか。
「雛森さ、」
「貴方は、総隊長によって隊長に任命された。それは少なからず隊長格の皆に、隊長足り得る資格を有すると認めら
れたという事」
じゃり、と土を踏む音がして、雛森が一歩こちらに向かって歩を進めた事に気付く。けれど一護は、その姿から目
を逸らす事が出来ずじっと立ち尽くしていた。
「そして貴方はそれを受けた。それは、護廷の隊長として数多の命と責任を負う事を、承諾したという事」
「………」
「そこには個人の、ましてや私の感情を差し挟む余地はないわ。ただ、貴方がそれらを本当に受け入れられるのか…
貴方が、それらを背負って立っていられるのか」
じゃり、じゃり。一歩ずつ近づいてくる雛森を、一護は黙って待っている。
「―貴方に、その覚悟はあるの」
「俺は…」
「なんてね?」
一護が口を開こうとしたその瞬間、雛森はそれまでの、肌に痛いほどの張り詰めた空気を追いやり相好を崩した。
「私が言えるようなことじゃないんだよね本当は。謀反を起こしたのは他でもないうちの隊長…私は、暴走して皆に
迷惑かけて。…でもね、分かって欲しいの。貴方がその重みに耐えられないまま皆の上に立てば、それは皆の命に
係わるの」
「…うん」
「そして、私も…貴方もよ。皆、死んじゃうかも知れない」
「うん」
「それでも、やるの?…壊れちゃうかも、知れないよ?」
一護を戒める言葉を告げながらも、気が付けば雛森は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
一護は瞠目するも、ああ、と得心がいった。
何故彼女がこんな話をするのか。それは、自らの上に立つ人間を見定めるためではないのだ。
「…正直、まだよく分からない。俺に、隊長なんて大役が務まるかどうかなんて…自信なんかねぇし、覚悟だってま
だ出来てないかも知れねぇ。けど」
雛森は一護の言葉を、顔を俯かせて聞いている。
そうして顔を背けられるのは、拒絶されているようで悲しい、と一護は思った。
「けど俺、皆の事好きなんだ。この尸魂界の皆の事が。現世に生きる人達と同じくらい、さ。だから俺は護りたい。
現世の皆の事も、尸魂界の皆の事も」
じゃり、と。音を立て踏み出したのは、今度は一護のほうだった。雛森の傍まで近づいて、俯く彼女を見下ろす。
小さく震える細い肩には触れる事はなく。
「隊長として立つ以上、俺は何に変えても護る。俺の大切な人達を。隊の人たちも、雛森さんも。そして俺自身も」
雛森が顔を上げる。じっと伺うように目を覗き込まれ、一護は少し照れくさそうに笑った。
「だから俺は大丈夫だよ。それに、雛森さんが支えてくれるんだろ?なら、怖いものなんてなさそうじゃんか」
「…それどういう意味?もう…ふふっ」
一護の言葉に、声を出して笑った雛森は軽く目元を拭いながらにっこりと笑った。
薄紅に染まった頬が、昇り始めた朝日に照らされて白く輝く。
「その言葉が、聞きたかったの…多分ね」
「雛森さん…」
「ああでも、」
生まれたての光に包まれた彼女の笑顔は、きらきらと優しく一護の瞳に映りこむ。
ああこれが彼女の笑顔なんだろうと、一護は初めて見るその表情に見惚れた。
「私のことまで護る必要はないわ。だって、私は貴方の副官になるんだもの」
「俺、きっと雛森さんが見てた…藍染みたいな、立派な隊長にはなれなそうだけど…」
「いいのよ。私だってそんな事望んでるわけじゃないもの。…もう、盲目になったりもしない。
私だってもう大丈夫よ?」
「…あぁ、そうみたいだな」
「私は私の目で貴方を見てるから」
不意に雛森の顔から笑顔が消えて、一護を正面から見つめる。
そして、すっと一護の足元へと跪いた。
「貴方に、そこまでの想いがあるのなら」
突然のことに驚く一護を落ち着かせるように、雛森の凛とした声が静かに響く。
その声には彼女の意思のすべてが籠められていることを、一護は今度こそ感じることが出来た。
「この命―貴方にお預けいたします。私は貴方の副官として、この身の全てを賭けて貴方を護ると誓う」
何てことを、と思う。矛盾している。
けれど、一護にはそれを受け止める以外の選択肢はなかった。そして、そう考えた次の瞬間にはいやに心が落ち着
いている自身に気が付いて苦笑する。
二人とも、何とも頼りないものだ。未だ未発達の自分と、どこか不安定な部分のある雛森と。
けれど二人でいれば大丈夫なのではないかと思ってしまった。そんな自分の身勝手さに呆れもするが、それでも。
「黒崎隊長」
「あぁ―宜しく頼むよ。雛森副隊長」
「―はい」
ゆっくりと、雛森が顔を上げて眼が合えば二人とも苦笑してしまった。
こんなのはおかしい。けれど、確かに互いには必要だったのだ。
「あー…けどさ、雛森さん。隊長はやめてくれよ。何かちょっと…一護でいいから」
「あらじゃあ、私も桃でいいわよ?隊長が副官をさん付けって言うのも何か情けない感じがしない?」
「え…桃さん、じゃ…」
「黒崎 隊・長?」
「…桃、」
「はい、よく出来ました!」
「これから宜しくね、一護君!」
「…自分は君付けしてんじゃん!」
あははは、と笑って駆けて行く雛森を見送って、一護は深く一つ深呼吸をした。
これからこの尸魂界を、そして現世をこの手で護っていくのだ。藍染との戦いもあるのだろう。
自分がどれだけやれるかなんてまだ分からないのだけれど。
それでも出来るだけの事を。雛森と、共に。
その時は、彼女の笑顔までも護れるといい。そう願いながら。
―今、黎明の時。
2006.6.5 sakuto kamunabi BLEACH TOP
とにかく色々足りない部分がある気がしてならないのですが…
つまり何が書きたかったかって言うとですね。
一護に跪く雛森が書きたかったの…!(むしろそこだけが!)
という訳で一護さん五番隊隊長に就任ー!(やけぱち)