ちゅっ。



   何かそんな音で目が覚めた。


   「ん?」


   軽く貼り付いた感のある瞼を抉じ開けてみると、あまり見慣れない木目の天井がぼやけた視界に映る。

   あれ、ここどこだっけ。


   「ああ、目を覚まされましたか黒崎さん」

   「…卯ノ花さん?えーっと、ここもしかして四番隊っすか」


   優しげな声に身を起こして振り返ると、四番隊隊長卯ノ花烈さん。

   どうやら四番隊のベッドで寝ていたらしい。
 
   辺りには他に人の姿が見当たらなかったが、恐らく皆仕事中なのだろう。ベッドを使っていたのも一護だけだった。


   「何で俺ここで寝てんだ…?」

   「黒崎さん、腕の治療中に眠ってしまわれたのですよ。少し、睡眠不足のようですね」

   「あ…」


   言われて思い出した。報告ついでに花太郎に会いに四番隊へ寄ったら、そこには卯ノ花一人しかおらずしかもさして

   問題ないだろうと放って置いた腕の怪我を見抜かれてしまい、半ば強制的に治療をされてしまったのだ。

   僅かに痛む箇所に柔らかな手が当てられて、その暖かさと優しさにいつの間にか瞼が重くなっていったのだった。


   「す、すいません。手当てしてもらってたのに!何か、最近夜に虚が出る事が多かったもんで」

   「良いのですよ。ゆっくりしてらして下さいな。でも、あまり無理はなさらないようにして下さいね?」


   慌てて頭を下げたら、ひどく優しく微笑まれて気遣われてしまった。

   ちょっとこの人には敵わない気がする。母親のようで、等と言ったら失礼になるのだろうが。

   流石にそれ以上寝ている訳にもいかずベッドから降りるといつの間に煎れたのかお茶を渡されて椅子を勧められた。

   礼を言って受け取りながらふと、先程気にかかったことがあったのを思い出す。

   ん、何か起きる前に…えーっと…?


   「どうかされました?」

   「あ、いや…何でもないです」


   聞かれて咄嗟にそう答えてしまった。実際よく思い出せなかったので、まぁたいした事じゃなかったんだろう。


   「そうですか。そうそう黒崎さん、私今日、誕生日なんですよ」

   「え!?そうなんですか?すいません俺知んなくって、何も…」

   「ああ良いんです、そういうつもりで言ったのではないのですから。ただ何となく、黒崎さんにお祝いを言ってもらい

    たくなったんですよ」

 
   そう言って卯ノ花さんは、ちょっと悪戯っぽく笑った。

   その表情が何だか可愛らしくて思わずこっちも笑ってしまった。

   姿勢を正して、心を籠めて言う。


   「誕生日おめでとうございます、卯ノ花さん」

   「はい、ありがとうございます黒崎さん」


   もう一度二人で笑った。何だかくすぐったい感じがしたが、ああ、こういうのが癒されるというのだろうか、等とお

   茶を飲みながらのほほんと一護は思った。


   「それに、もう贈り物は戴いてしまいましたし」

   「え?」


   卯ノ花が何事か呟くのをいまいち聞き取れなかった一護は伺うように見てみたが、うふふ、と笑うだけで卯ノ花は何

   も言わなかった。一護も、それ以上気にはしなかった。



   が、そんな二人の様子を初めから、そう一護が目を覚ますその前からこそりと覗いていた人物がいたのだが、一護は

   最後まで気付かなかった。

   …無論卯ノ花は気付いていたのだが。







   それから数日後。

   一護は瀞霊廷を四番隊に向かって一人歩いていた。

   手には、華美になり過ぎない程度に丁寧なラッピングを施された包み。


   「こんなんで喜んでもらえんのか分かんねぇけど…」


   中身はアイボリーの春用手袋だ。既に時期外れかとも思ったが、一護が思い浮かべる卯ノ花のイメージといえばあの

   優しく暖かな手だ。

   あの手に、いつも癒され支えられている。だからそれを守るものが良いと思ったのだ。


   「卯ノ花さんは何もいらないって言ってたけど、やっぱ何だかんだと世話になってっからな」


   女性に贈り物をする機会などそうはないので少々気恥ずかしくもあったが、いつも何かと自分の心配をしてくれる彼

   女に申し訳なく思っていたので丁度良い機会だと思った。少しでも喜んでもらえるといいのだが。

 

   そうして足取りも軽く廷内を歩いていた一護の前に、突然だかだかとけたたましい音と土煙を立てて二人の男が走り

   込んできた。


   「「一護!!!」」

   「恋次、それに修兵さんも」


   一護の霊圧に気付くとよく誘いに来てくれる二人だったので今日もそうかと軽く挨拶をしようとした一護だったが、

   二人の形相にただならぬものを感じて思わず後ずさってしまった。


   「な、何だどうしたんだ二人とも?俺何かしたか」

   「何かしたかじゃねぇよ!一護、お前…」


   「卯ノ花隊長と付き合ってるって本当か!!?」

   「…はぁ!?」


   何だかもの凄く鬼気迫る表情で来るものだから、一体何を言われるのかと思えば。

   一瞬我が耳を疑ってしまった。


   「何だよそれ、どっからそんな話が…」

   「違うのか?でも今、瀞霊廷中その噂で持ち切りだぞ」

   「何でもこっちに来るたびに逢引してるとか、二人が熱烈な口付けを交わしているところを見たとか…」

   「なっ…!」

 
   いやに生々しい、けれど根も葉もない噂に、がっと顔を赤くして絶句する一護の様子に二人は逆に顔を青くした。


   「その反応…まさか本当なのか!?」

   「んな訳あるか!!その噂の出所はどこなんだよ!?」


   よりにもよって卯ノ花と自分が、どうしてそんな話になるのか。嘘八百を広めた誰とも知れぬ相手に怒りを感じずに

   はいられない。

   先程とは違う感情で顔を真っ赤にした一護の迫力に押されて、恋次はしどろもどろになりつつ答えた。


   「い、いや…出所は知らねぇよ。俺はルキアに聞いたけど、ルキアも人に聞いたって言ってたし…」

   「俺は雛森に聞いたけど、やっぱり同じように人伝に聞いた話だって言ってたな」


   恋次も修兵も、既にそこらじゅうに広まっていてどこから出た話かなど分からないと言う。

   そんな二人を置いて、一護は瞬歩の如き勢いで駆け出した。


   「あ、おい一護!!」

   「行っちまったか…でもあの様子だと、噂は嘘だったみたいだな」

   「っすね。…あー良かった。だって卯ノ花隊長じゃ…」

   「ああ、よりにもよってあの人じゃなぁ…」

   「「ぜってぇ敵わねぇもんな…」」

 
   ていうか、あの人を敵に回したくない。

   彼の人の優しくも恐ろしい微笑を思い浮かべ、男二人は知らず身を震わせた。






   「卯ノ花さん!!」

 
   四番隊隊首室の扉を壊れんばかりの勢いで開けると、書類仕事を終え一息ついたところの卯ノ花が顔を上げた。

 
   「あらあら黒崎さん。どうなさったんですそんなに息を切らせて」

   「ぜ、は、…あの」

   「一先ず落ち着いてくださいな。今お茶を煎れますから」

   「あの、卯ノ花さんすいませんっ!!」


   突然がばりと頭を下げた一護に、卯ノ花はまぁ、と暢気な声を出して口元に手を当てた。


   「どうなさいました藪から棒に。黒崎さんに謝っていただくような事、私には覚えがありませんけれど」

   「それは、その…今なんか、その、変な噂が流れてるみたいで…」

   「ああ…あれですか」


   顔をほんのりと朱に染めて見上げてくる一護を微笑ましく思いながら、卯ノ花は茶を煎れる手を休めて向き直った。

 
   「何やらある事ない事言われているようですけれど…でもそれは、黒崎さんが謝られる事ではないでしょう?」

   「でも…俺なんかとの噂の所為で卯ノ花さんに迷惑が掛かってるんじゃないですか」


   恋次たちの言った通り噂は瀞霊廷中に広まっているらしく、ここに来るまでにも人に会う度に事の真相を問い質され

   た。この調子では卯ノ花にも同じような事があったのではないかと居ても立ってもいられなくなり、群がる知人たち

   をすべて振り切り急いでここまで来たのだ。


   「何でこんな事になったのか全然分かんないんすけど…ほんと、すいません」

   「お顔を上げてくださいな、私は大丈夫ですから。別段気にしてはおりません。

    それより今日はどうかなさったのですか。報告はこの前済ませたのでしょう?」


   柔らかく微笑んで言う卯ノ花にほっと息を吐き、そして漸く自分が何の為にここへ来たのかを思い出した。

   そうだ、おかしな噂に気を取られ忘れるところだった。

   一護は手に持っていた包みをそっと差し出した。


   「卯ノ花さん、これ。良かったら貰ってもらえますか?一応誕生日プレゼントなんですけど。

    この前は何も出来なかったから」

   「まぁ…お祝いの言葉だけで十分だと言いましたのに」

   「いつもお世話になってますから、そのお礼も兼ねて」

   「ありがとうございます。とても嬉しいです」


   喜びが滲み出るような微笑を向けられて、一護は照れてしまったのか少しだけ視線を逸らした。

 
   「それにしても、ほんとに誰が一体あんな噂流したんだか…」

   「そうですわね…何でも、私たちが逢引しているとか、果てはもうすぐ結婚するだとか」

   「ぶっ!!」


   結婚!?

   とんでもない単語が聞こえてきて、思わず飲んでいた茶を噴き出しそうになってしまった。

 
   「あらあら大丈夫ですか。…でも、そうですねぇ」


   軽く咳き込みながら顔を上げると、卯ノ花はにっこりと笑って言った。


   「お相手が黒崎さんなら、私はそれが真実になっても全然構いませんけれど」

   「なっ…う、卯ノ花さん!!」


   今度こそげほげほと苦しそうに咳き込んで、一護は顔を真っ赤に染めた。

   まるで母親のように思っていた卯ノ花と結婚などと一護には想像も出来ないが、にこにこと笑いながら手拭いを差し

   出してくる卯ノ花の顔をまともには見られなくてばっと顔を背けた。

   と、顔を向けた先に人がいた事に驚く。


   「は…花太郎…?」

   「た、大変だ…」

   「あ?」


   戸口から伺うようにしてこちらを見ていた花太郎は、あわあわと口元を震わせてその場に立ち尽くしていた。

   様子のおかしい彼を怪訝に思い一護が声を掛けようとすると。


   「う、卯ノ花隊長が黒崎さんにプ、プロポーズを…!!」

   「はぁ??ちょ、花…」


   どこをどう聞いていたらそうなるのか問い質したいところだったが、花太郎はくるりと踵を返し、そして。

 
   「ルキアさんに知らせなきゃ…!!!」


   なんて事をのたまった。


   「…ちょっと待て、花太郎…」

   「ああそれから松本副隊長と雛森副隊長にも…」

   「お ま え か―――っっ!!!」

   「うひゃあっ!!」


   急いで部屋から出ようとする花太郎の首根っこを引っつかみ無理やり部屋まで戻す。

   どう考えても、あの噂の元凶は彼以外にない。


   「お前だったんだな?あのありえねぇ噂流したのは!!どういうつもりだっ!」

   「放してください黒崎さん〜っ。だってだって、全部本当の事じゃないですかぁ」

   「どこがだ!!ある事ない事言いふらしやがって!」

   「えー、だって僕見たんですよ。この間卯ノ花隊長が…」

   「あら、私がどうかしましたか?」

   「ひぃっ!」


   ばっちり卯ノ花と眼が合ってしまった花太郎は、普段からは考えられないような勢いで一護の手を振り切ると一目散に

   逃げ出した。

   怖い。あの笑顔が怖すぎる。


   「し、失礼しましたーっ!」

   「あ、この野郎待ちやがれ!!おいこら花太郎―――!!!」

 
   とんでもない速さで逃げていく花太郎を追って、一護も走って行ってしまった。


   「あらあら」


   走って行く一護の背中を見送りながら、一人になった卯ノ花はふふふと笑みを零した。

   花太郎が流した噂は大分尾鰭がついていたが、すべてがすべて嘘という訳でもなかった。一護がこちらに来るたびに

   治療を理由に引っ張り込んでいたし、それに。

   恐らく彼は、この間一護が寝ている間に卯ノ花がした事を目撃していたのだろう。


   (だって、あんなに可愛いおでこなんですもの)


   ついつい、その額に口付けてしまったのだ。ついでに言えばそれを花太郎が見ている事も知っていた。

   面白そうだったのであえて放って置いたが。

   花太郎のおかげで、一護のいろんな表情が見られて愉しいことこの上ない。

 
   (今年の誕生日は随分と素敵なものになりましたね)


   手元に目をやれば、リボンをかけられた上品な包み。それを渡してくれた時の、一護の顔を思い出す。

   ああ、何て可愛らしい。


   そっと包みを撫でると、もう一度ひっそりと笑った。

 
   来年の誕生日は、さてさて。

   可愛い可愛いあの子と、どんな風に過ごしましょうか。




   少々怪しげな笑い声のする隊首室に、近づく者はいなかった。





   
2006.4.21 sakuto kamunabi                            BLEACH TOP 

   卯ノ花さんがちょっと怪しすぎました。何か怖いよー!
   ラブがどうというよりは卯ノ花さんが一護で遊んでるだけです。
   というわけでお誕生日おめでとうございました(ましたって)。